個人サイト時代末期の悲しみ
昨日のこと。6年に渡って追っかけをしていたサイトさんが閉鎖されていました。
1898年の12/21、つまり昨日、キュリー夫人がラジウムを発見した日。
最近、良くない科学ニュースが取り沙汰されていることはどうでもいい。あの会見見てたらウソついてるようには見えなかったしSTAPはあるのかもしれない。去年大学入試の面接でSTAPについて意見を求められてヒィヒィ言いながら答えたトラウマ的にその話は好きじゃない。
キュリー夫人といえばポーランド、ポーランドといえばヘタリアのあの二次創作作品、もう一度ぜひ読みたい、そう思ってスマホのブックマークから、通い詰めたページへ飛んだ。
「ユーザーIDが存在しません」
衝撃でした。にわかには信じがたい。
フリックミスの可能性も捨てきれない。震える手で3回、ブックマークからそのサイトへ飛んだ。
何度訪れてもナノの真っ白な壁紙に、「ユーザーIDが存在しません」。
「ユーザーIDが存在しません」の下で、BL漫画のバナー広告が微笑んでいる。
こんなことは2年前にもあった。熱烈なファンだったとあるサイトが、なんの前触れもなく(確かに放置気味ではあったが)閉鎖されていた。
茫然とし、ケータイからだけでなくPCからも確認した。そのときは確かひざから崩れ落ちた。
多少大人になったらしい。今回はそっと心の中でうなずいて、少しTwitterに悲しみを吐露しただけだった。
仕方がない。
デジタルデータなんて消すのは一瞬で、筆者が消してしまえばサーバー元でもない限り永遠になくなってしまう。
サイトの運営者とリアルの知り合いでもなく、感想も送ったこともなく、一方的に楽しませてもらっていた。せめてなにかひとつでも感想を送っておけばよかった。
もちろん、スクリーンショットを撮るなんて野暮なことはしていなかった。
不安定な4G回線にいらだちながら、Cromeを動かしお目当ての文章をタップする瞬間にこそ、読みたいという抑えきれない気持ちを感じる。写真にとって持ち歩くたびに、その過程は短縮される。その価値は薄れる。興味も薄れる。
この6年間に、中学を卒業し、高校を卒業し、受験に失敗し、浪人し、大学生になりました。
彼女の書く文章に、多感な時期真っ盛りの私は、影響を受けまくった。いまだって相当痛い性格をしている自信はある。いつだって多感だ。
ともにすごした思い出を失ったような気持ち。身近な人の死に直面したときのような喪失感と似ている。まあ、それに比べれば全然軽いと思うが。
リヒテンシュタインの羊の夢も、ポーランドのショパンも、櫛枝実乃梨のパラレルワールドも(ここまで書くと気づかれるかもしれない)、思い出の中にぼんやりとした構造をもつだけで、つかめないものになってしまった。
管理人さんはいまお元気かな、どうかしら。今頃どこかで幸せに過ごして、また少しだけ創作活動をしていらっしゃったら、またどこかで巡り合えたらいいな。